回避性人格障害でも快適に生きる

回避性人格障害(回避性パーソナリティ障害)の生きづらさの軽減・解消を目指します。

お礼を言うと明らかに気分が変わる

前回書いた、感謝力を高めるために、ありがとうの言葉をなるべく意識して使ってみるというのがひとまず順調に実行できています。

 

具体的にいうと、スーパーやコンビニのレジで店員さんにお釣りをいただく時に、「ありがとうございます」と言うようにしました。

これは自分も薬局でアルバイトしていた実体験に基づいて、これをやられると嬉しいことがわかっているので、独善的にならなくて済むような気がして始めるのがとっても簡単でした。

 

やっていて気づくのですが、まだやり始めたばかりだからというのもありそうですが、言った後に何故か自分がとても気持ちがよくなるんですね。

 

最近、なんだかもう友達と会っても劣等感に苛まれるだけだし、仕事もいつやめてもおかしくないという状態からお金に対する不安が強くて、何をするにも出費が気になってしまうしで、お休みの日はもっぱら1人でいることが多いのですが、

 

お昼過ぎくらいになると、ものすごい憂鬱になってくるんですね。

前は土曜日なんかは同じ状況でも次の日も休みだし、という気持ちで比較的楽しくいられたのですが、最近は土曜日すらこの憂鬱が襲ってきます。

そして日曜日はいうまでもなく、仕事からの逃げ場であるお休みが終わってしまうことへの悲しみに明け暮れて過ごすことになります。

 

なにか没頭できる趣味でもあればいいんですが、特にこれといってハマっているものもなく。土日とか何をしているのか自分でもよくわからないまま時間だけが過ぎていくというなかなかにしんどい状況で。

 

そんな時。

ご飯を買いに寄ったコンビニでレジで店員さんにお礼を言うと、

なんだかフワーッと、フワワワーっと身体に温かいスチーム的なものが巡る感覚がするんですね。

 

「活力」と呼んでよさそうなものが湧いてくる感覚がするんです。

そのあと5分間ほど、「なんかちょっと気持ちいい」という状態でいられます。

 

向こうはもしかしたら「なにこいつお礼とか言っちゃってんのキモっ」とか感じているかもしれませんが、

少なくともお礼を言ったこちらはそういう状態になれるという、イッツライカマジック!

 

なので、近所のスーパーにもついに無人レジ機なるものも導入されているのですが、貴重なありがとうを発するチャンスを逃してなるものかという思いから有人レジの方を使うようにしました。

 

 

 

ケアレスミスが多すぎる

昔から、ケアレスミスの多さが気になります。

日常生活だと、封筒をポストに投函しに外に出たのに封筒持ってきてないとか、ガンガンやります。

結構困るのが、電車を乗り間違えちゃうこと。

終電とかの乗り換えで、逆方向に行っちゃって歩いて帰るとかものすごく困ります。

 

こういうプライベートはまだ人に迷惑かけることも少ないのでマシですが、これを仕事でやらかしたら、とか考えるとまた恐怖が、、

 

というか既にやらかしまくっているのですが、

それよりも「自分のことだから、きっとやらかしてしまうに違いない」という思いが自分の中で育っていってしまうのが困りもの。

 

こういう心配のせいで、至極簡単な作業がものすごくスローモーションになってしまいます。もうちょっと心配のハードルを下げても問題ないはず、と仕事を離れているときは思うことができるのですが。

 

そして仕事で一番怖いのがメールですね。何度も何度も、「To合ってるよね??」「この人この会社の人だよね??」「ccに入ってるの別会社の人じゃないよね??」「そもそもこの話題ってこの人としたんだよね??」とか考える。

メール送る前の自分うざすぎ。

 

しかもこういうのって、実際にこんな風に思いいっつも、じゃあそれを解消するために確認作業をしているかというとそんなこともなかったりする。

なんとなく不安な気持ちだけがわいてきているだけで、メールをぼんやりと眺めてながら何度も何度も宛先を意味もなく心の中で復唱していたりする。

 

間違えるはずもないことに対して、それでも巻き起こってくる無駄な不安感に身体が反応しきれていないという感じがします。

 

それでも、今までの自分の不注意ミスの多さから、当たり前のことでも果たして正しいのか疑いたくなってくるんですね。

後から考えても、なんでそんなことに気づかなかったんだろう、なんでそこを全く懸念することができなかったんだろう、と思うミスが多すぎて。

 

これが例えば、誰かに「◯◯会社の担当者さんて××さんだっけ?」と聞かれたら、なんの不安もなく答えることができるはずなのですが、

自分が送るメールのこととなると急に田舎のお母さんのごとく心配性になってしまいますわよ。

 

 

これを書いてる今ですらバカバカしいと思えることを、ついさっきまでいた、仕事の場にいるときは本気で心配してしまうんですね。

もっとリラックスして働いても良さそうなもんですけど。

 

 

しかも実際にミスをしたとき。

そんな時のリカバリーも極端に下手。

やってしまった、と頭がいっぱい、慌ててしまってさらに自体を深刻化させそうで怖くなり、余計に作業スピードが落ちる。1つ1つの事柄を執拗に確認しながらでないと作業を進めることができない。シンプルな足し算とかもすごく時間がかかるモードになってしまいます。

 

結果全くと言っていいほど作業が進まなくなり、またどんどん自己嫌悪に陥っていく。

ということの繰り返しの毎日です。

 

この注意力散漫な性質も、自分の回避的な気質を増長させているような気がしてなりません。

常に頭をシャッキリさせるには一体どうしたらいいのやら。日々研究に勤しみます。

 

 

ついにそういうやつが始まってしまった...

僕が割と本気で恐れていたことがあるんですが、、人によっては全くもって些細なことと感じるかもしれないのですが、、それがついに始まってしまいました。

 

少し前から、仕事で僕が所属しているチーム+ほかチームで合同のミーティングがおこなわれるようになりました。といってもせいぜい全員合わせても15名ほどなのですが。

僕はこのミーティングが本当に苦痛で。

 

コンテンツとしては直近の数字の共有、各チームリーダーからのコメントといった普通の内容なのですが、雰囲気としてはみんなかなり和気あいあいとしていて、いわゆる「会議」とは少し趣が異なります。

そして僕はこの和気あいあいが本当に怖い。

 

和気あいあいがためにバイトである僕にも話題が及んでくる、これが本当に恐ろしい。

ただ普通に話せばいいだけなんだけど、それが出来たらとっくに正社員で活躍してる。

 

和やかなおしゃべりモードになると僕は逆に一気に体がこわばって、観葉植物に擬態します。

 

最近はどうしたらこのミーティングに出なくて済むだろうか、、ということばかり考えています。

 

そしてついに。ついに。

 

このミーティング中の1つのコンテンツとして、 

「1人づつ前に出てしゃべる系」のコンテンツが追加されてしまいました。

「せっかく同じチームになったんだから、もっとお互いのことよく知ろうぜ                                                                                   

系」のコンテンツです。

 

薄々、「このままだといつかそういう企画が始まるノリだなこれは…」と回避センサーが察知していたので、早いとこ辞めようと思っていたのですが、こんなに急に来るとは。

 

今回のお題は「お世話になった人」。

それを1日1人ずつ、パワポで資料を作って前に出て発表。

悪夢だ。

 

バイトはセーフか?!正社員だけか?!と思っていましたが、スケジュールにしっかり僕の名前がありました。。

結構後の方。その間に憂鬱で溶けてしまいそう。

 

あー、また憂鬱なことが1つ、それも超弩級のやつが増えてしまった。

 

精神科医岡田尊司さんが著書の中で書いていましたが、

この世には3分間スピーチが嫌で会社を辞める人だっている。

こういう前に出てしゃべる系はなんとなく職場では良しとされがちだし、俺だって一応今までの人生で全くやってこなかったわけではないけれども、、いつまでも好きになれんなぁ。

 

もし明日地球が爆発しても、宇宙の塵になるその刹那に「スピーチをやらずに済んだな」とか思いかねない。

 

 

 

 

 

感謝力を鍛える

前回、感謝の気持ちで恐怖を押しつぶす、という恐怖回避方法ってありじゃねと書きましたが、

感謝の気持ちを持てと言われても改めて言われるとそれってどうやるのか、いまひとつよく分からない。

 

人に感謝の気持ちを忘れずに、とかよく聞きます。最近読んだ稲盛和夫さんの本にも、感謝の心を持ちなさいと書いてありました。

しかし僕としては歌の歌詞みたいにありきたりワードとして耳を通り抜けていくだけ、形骸化してしまっている感が否めません。

 

僕自身、あまり今まで「感謝」ということに対して意識を傾けたことがなかったせいか、まともに向き合って考えようとするとなんだかよく分からない。

 

「いい車に乗りたい!」とか「お寿司が食べたい!」とかと違って、それ自体は目に見えないものってなかなかイメージしろと言われても難しいですね。ラッパーのように即興で感謝の心をズダダダっと繰り出すにはどうしたら良いのでしょうか。

 

シチュエーションを想像して、それに対して湧き出てくる「反応」をキャッチして覚えておく、とかそんな感じでしょうか。

 

試しに感謝の心を誘発させるためになんらかのシチュエーションを考えてみたのですが、、意外と難しい。

 

感謝に対して能動的になったことがないから??

なんとなくフワフワっとした気持ちは湧いてきますが、これでいいのかな、、と不安になるレベル。感謝ってなんだっけか、、

 

感謝の心を発動するのってちょっと実感を持ってトライしづらいですね。

そして自分の心の貧しさに驚き。

ろくな人生経験を積んでいなくたって、心は豊かにありたいと思っていたけれど、人に対する感謝すらまともに感じられないなんて。

 

さて、こんな状態からなんとかきちんと感謝の気持ちを持てるように、感謝力を鍛えることは出来るのでしょうか?

 

元格闘家の須藤元気さん(今あの人なんて肩書きなんだろう)がたしか、著書『幸福論』のなかで、

四国お遍路をずーっと「ありがとう」と声に出しながら回った、と書いていました。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、、と歩いている間エンドレスで声に出して言い続けるのだそうです。

 

さすがにそれは須藤さんだから出来る感があり、普段社会に出ている身としてはなかなか難しいですが、

スピリチュアルな感じ抜きにしても「ありがとう」とたくさん口に出すこと、これは感謝力を鍛える上でかなり有効なのではないかなーと思ってます。

 

僕は薬局でアルバイトをしたことがあるのですが、レジでお会計が終わった後に10人に1人くらいですかね、きちんと「ありがとうございます」と言ってくれる方がいました。

あれ、強烈に嬉しいです。

 

僕が社会経験がなく、働くことに対して怖がりまくっていたせいで余計に感動した節もあると思いますが、あれをやられると本当にある意味「お客様は神様」と感じます。

あの一言で不思議と疲れが取れるんですね。

なので実感としてこの言葉の破壊力は割と知っているな、と今書いていて思い出してきました。

 

ひとまずこの辺から行動出来るような気がしてきました。

少しでも感謝を感じたら、人に何かしてもらうような場面があったら、まずは意識してありがとうと言うようにしてみます。

 

 

 

 

 

 

恐怖を感謝で押しつぶす

仕事の対人関係で極端に自分が出せなくなる、こんなことやりたいなと思いついたことを実行に移せない、異性に対しても非常に奥手、などなど、

 

頭では「これをこうすればいいだけじゃんか!」と思っていることがなかなか出来かったりするのは、なんでなんだろう、

 

と思った時に、結局はやっぱり「怖い」んだなという考えに至りました。

 

例えば、

やりたいことが見つけられなくて、思い切って海外にワーホリに行きました!とかそういう人の話を聞くと、自分もやってみようかな?そしたら人生変わるかな?と思ったりすることもありますが、

結局やりません。

そしてやらない、やれないのはやっぱり怖いからなんだろうなと。

  

昔ならそういう話を聞いて、自分のモヤモヤを解決する手段がそこにありそうなら、もう少し悩んだり検討してみたり、自分にできそうな範囲を考えてみたりするような気もしますが、

 

今となってはもう完全に自分のコントロールできる範囲を超えている気がして、無意識で選択肢をシャットアウトしています。

 

こういうの、もういつものパターンすぎて恐怖を感じていることすら忘れてた。

 

お金がないから?やる気がないから?運動不足?…

と色々足りないもののせいにしてみようともしてましたが、恐怖が原因ってわかっちゃうと何もできなくなると思って誤魔化してただけなのかもしれない。

 

で、なんとかこの恐怖心を和らげられないかといろいろ調べたら考えたりしました。

 

例えば対人関係における恐怖に遭遇する気配がした時は、他人を「ただのタンパク質と水のあつまり」だと自己暗示をかけることによる回避を試みました。

よくいう「みんなジャガイモ」的なやつですね。自分以外の他者をジャガイモとして捉えるという。

 

少しでも不安になったら「これらはすべてタンパク質と水….タンパク質と水…」と心の中でやってました。

 

これはこれで効果が無いわけではないんですが、

いわば、対人関係をコミュニケーションとして扱わない、他人の存在を「無し」とすることで解決とする方法なので、

回避できたとして、その後にものすごい孤独感に苛まれるんですね。

じゃあこの世界でこうやって意識を持ってるのって俺だけなのか…となってしまいました。

 

そんな都合よく、楽しい時だけ、他者を意思を持った生命体と見ることなんてできないし、出来ちゃうのも嫌だなぁと思いました。

 

なのでこれはすぐやめました。みなさんもこれはやめたほうがいいです。根本的な解決に最も遠い方法だと思います。

 

 

で、とっても興味をそそられ、実際に試してみたら確かに効果を感じることができたのが、「感謝」すること。

 

突然のスピリチュアル!!と敬遠せずに読んでいただきたいのですが、

 

どうも人間は「不安な気持ち」と「感謝の気持ち」は同時に持つことができない仕組みになっているらしく、

だったらもう片方が入ってこれないように片方で満たしてしまえばええやんか、という理屈らしい。

 

これ、たしかにその通りだと実感できます。

ベタに親への感謝とかでいいんです。不安を感じそうな気配がしたら「お母さん学費出してくれてありがとう」と心の中で急に唱えます。

 

しかし実際は僕は奨学金をしこたま借りて大学に進学しました。しかも成績がめちゃくちゃ悪かったので、ガッツリ利子付きの。この話は今は関係ないですかね。

 

すると不思議なことに、確かに不安とか恐怖が若干和らぐんですね。

心の中を独占していた恐怖が少し引いていくのを感じるんです。

 

なので、うまいこと感謝の気持ちを出し入れすることができれば、自由に不安や恐怖を押しつぶしてしまうことができるかもしれません。

 

よく「感謝の気持ちを持ちなさい」と言われますが、感謝がこのように実用性にも優れたツールであるという大発見。

 

常に感謝で心を満たして、恐怖や不安を跳ね除ける。

 

ちょっとスピリチュアルな感も出ちゃいますが、とても便利な方法でした。

 

恐怖と戦うための武器を探していたつもりが、最強の盾を授かった気がします。

みんながみんな盾だけを持てば誰も傷つかずに済むのに!

とかそんなことも思ってみる31歳のおじさんでした。

 

 

 

 

 

一応働いていますがこんなです

今日は朝のミーティングで5つも年下の社員が、
なかなかの立場が揃ったオーディエンスの前でものすごく理路整然と持論を発表しているのを見て朝からかなりやられました。

 

今のお仕事は基本的にしょっちゅうミーティングがあるのですが、
その度に議題がどうこうではなく、主体性をもって会議に臨んでいる方の輝きぶりが僕を切り裂いていきます。

 

できるだけ1人で没頭できる作業だけをやっていたい、、
こんなに会議があるなんて聞いてない、、こんなに出席しなきゃいけないなんて聞いていない、、といちいち心の中で弱音を吐いてしまいます。

 

と、こんな性格のためなかなか仕事が続きません。

働いて楽しいと感じた経験もあまりなくて、だんだんと働くことがなんだか全く意味のないことに思えてきてやめてしまう、というのを繰り返しています。

 

実家暮らしではないので、お金を稼がなければ生きていけないという働くことの大きな意味が与えられているにもかかわらず、意味を感じない、世の中に対して何もよいことをもたらせていない、とか勝手に考えてやめてしまいます。

99%働きたくないだけの言い訳なはずなのですが、
恐ろしいことにその時の自分には、その言い訳が建前ではなく本音であると自分で勘違いしている節があるんですね。


辞める理由を正当化するために作り出した嘘に、自分がキマってしまっているという。。

 

とはいえ、いつもいつも「みんな何のために働くんだろう??」「モチベーションは何なんだろう??」というのはすごく考えます。
給料が上がるわけでもないのにいつも張り切って仕事している人、組織の中で主体的に動くことができる人が不思議で仕方がないです。

 

なのでいつも仕事をしていると、
「少ない賃金で働かせたい経営者vsなるべく楽をしながら高い給料を得たい労働者」
という単純な構図があまりはっきり見えてこないのはなんでだろう?と思います。

 

みんな、経営者の親族でもなんでもないのにまるでそのビジネスが自分の家業であるかのように数字を気にしながら頑張っていて、ここ以外でも絶対通用するのに、首を切られようが平気だろうに一生懸命働いていて。

どうしてそんなに主体的になれるんだ。。

 

なんだか僕には働くことによってどうなりたいとか、これだけの給料が欲しい、とか実現したいこともあんまり思い描けません。

結構いろんな人に、「どうしてそんなに頑張って働くんですか?」と聞くことがありますが、いまひとつピンとくる理由に感じたことがありません(聞いておいてほんと失礼)。

 

 

これ、多分ですがモチベーションを湧かせないことによって、「べ、、べつに本気出してねーから、、できなくてもしょうがねーし。。」と思えるように、逃げ道を用意しているんですよね?

もしかしてこの恒常的な無気力、倦怠感もここからきてるのでしょうか?

 

傷つくのが怖いから無気力でいる。本気でやって人より劣っているのがわかるのがこわいから常に倦怠感を帯びている気になっている。
そういえばアドラー心理学にでてきた目的論に通じるところがありますね。

 

超がつくほどのベストセラーになった『嫌われる勇気』では、
たしかひきこもりの青年を例に出して説明されていました。

 

過去の経験によるトラウマにより引きこもりになってしまう、というのがフロイト的、原因論的な考え方で、
一方のアドラーは、「傷つくのを避けるという目的」のために引きこもるという選択をしているんだよ、という。

 

トラウマなんて言葉が市民権を得まくっている現代においては、新しすぎてなかなか受け入れづらい考え方ですが、
たしかに原因論によって考えてしまえば、今がどうあるかによってこの先の人生がすべてズラッとキマってしまうことになりますよね。(下品なほうの「きまる」をパソコンが覚えてもうた。)

 

これは自分が選んでいるんだ、と考えるとそれだけでも少しだけコントロール可能なものに思えてくるような気がして、ちょっとだけポジティブな気持ちが湧いてきたように思います。

 


以上が本日のミーティングにおける私の議事録になります(爆)

 

現時点で思っていること、感じていることを整理する

自分が何をどうしていきたいのか、なにと戦っているのかを把握するために、

一度今感じていること・悩んでいることを整理しておきたいと思います。

 

回避性人格障害とは直接関係ない部分も多々あるかもしれませんが、今後の取り組みによる変化を感じるためにも、今思っていることを素直に記録しておきます。

 

・人付き合いにおける強い劣等感
様々な部分を他人と比較していしまい、その度に強烈な劣等感を感じます。
ーフリーターであること
ー年収が低いこと
ー頭の回転が遅いこと
ー面白いエピソードがないこと
ー強烈な趣味がないこと
ー容姿
人生の経験値の低さ
などなど。

 

特にこれがよく発現していると感じるのは、やたらと相手の年齢を気にしてしまうところ。

自分よりうんと年上の相手であれば、自分より能力が上でもあまり劣等感を抱かずに済むのですが、
同い年や年下相手に、自分より優れたパフォーマンスを見せつけられたり、面白いエピソードを聞かされると、ものすごい劣等感が襲ってきます。

この意識から、交友関係も広げることができず、
友達からの飲みの誘いなども知らない人がいる場合は何かと理由をつけて断ってしまいます。

 

・受け入れてもらえるという保証を感じられない場面では極端に人見知りする

人付き合いにおいてもう一つ強く感じるのが上記です。

絶対に自分を批判してきたりしないという確信がある人間としか関係を保つことができません。

身内や古くからの友人としか積極的なコミュニケーションをとることができません。

おそらくこれに関連して、その場限りのコニュニケーションは普通にこなせる方だと思います。

なので初対面の方には「明るくてよく喋る」という印象を持たれることが多かったりします。

 

一方で職場の方など、自分を批判しうる立場にいる人達のまえでは急にコミュ障になります。

そんな中でもよくしてくださる方はいるのですが、それでも職場の方というだけで萎縮してしまい未だにきちんと話せません。自分でも非常にもどかしいです。

 

 

・チームワークが必要とされる仕事・遊びを避けてしまう
実行にあたり、誰かと協力しなければならない作業が超絶苦手です。
やったとしても、普段と比べ著しくパフォーマンスが落ちていると思います。

 

自分のミスで迷惑をかけてしまったらと考えると、恐怖に支配されて平常心でいられません。注意力のリソースが、笑われるようなヘマをしない、ということに80パーセントくらい割かれて身動きがとれなくなる感じです。
遊びでも、たとえば人狼ゲームとか、、頭が真っ白になります。おかしな振る舞いをしてしまったらどうしようという気持ちでいっぱいでまともに楽しむことができません。

 

 

・社会性を伴う仕事、役割を避けてしまう
上にも通ずる部分ですが、特に仕事において回避的行動が強くなる気がします。
普段から、人から批判されたりすることへの恐怖は常に感じるのですが、ことさら仕事となるとこの恐怖・不安感が最高値に達します。

 

失敗して怒られたり、やりかたに疑問を持たれたりするのがとにかく恐怖で、
与えられたタスクを言われた通りにやることに執着してしまいます。

こんな自分でもたまに「これをこうやったらもっとうまくいくんじゃないか??」と感じることもあるのですが、自分が担当することになるかと思うと上手くこなせる自信がないので提案することができません。

 

その結果、責任が薄そうで簡単そうな仕事ばかりを選んでしまうようになり、
社会に出てからというもの、まったく収入が上がっていません。
明らかに法外に低い給料での労働も、安心感を求めて受け入れてしまいます。

 

 

・無能感
単純に人より能力が大きく劣っていると感じます。
過去の失敗経験が自分の中で大きな指標になっており、自分には何もできない、という考えが思考の根本になっているように思います。

 

 

・やる気が出ない
何をやるにも腰が重く、休日も何もやる気が起きません。外出の予定がないと家で一日中寝てしまいます。
映画を観ようかな、とか思っても、「映画監督になるわけでもないのに、そんなことしてどうするんだ」という考えが浮かび、行動に移せません。映画なんてそんなこと考えずに観ればいいのに。

 

この辺が日頃私が悩んでいる部分です。おそらく価値観に溶け込みすぎて、知覚できていない部分も多々あるとおもいます。
人生の重要な選択から日常的な行動まで、なにをするにおいてもこれらを回避することが最優先されるため、とても不自由です。

 

現在の無気力な状態も、「どうせ自分には選べる選択肢が少ない」と感じていることに起因しているような気がしています。
仮説ですが、これらを解消することで手が届く(と感じられる)選択肢が増え、人生を充実させることができると考えています。

 

 

なかなか周りには相談しづらい、深い共感を感じづらいところもある部分だとおもいますが、

もしも同じ悩みをお持ちの方がいらっしゃいましたら、共に頑張っていきましょう。

よろしくおねがいします。