回避性人格障害でも快適に生きる

回避性人格障害(回避性パーソナリティ障害)の生きづらさの軽減・解消を目指します。

一応働いていますがこんなです

今日は朝のミーティングで5つも年下の社員が、
なかなかの立場が揃ったオーディエンスの前でものすごく理路整然と持論を発表しているのを見て朝からかなりやられました。

 

今のお仕事は基本的にしょっちゅうミーティングがあるのですが、
その度に議題がどうこうではなく、主体性をもって会議に臨んでいる方の輝きぶりが僕を切り裂いていきます。

 

できるだけ1人で没頭できる作業だけをやっていたい、、
こんなに会議があるなんて聞いてない、、こんなに出席しなきゃいけないなんて聞いていない、、といちいち心の中で弱音を吐いてしまいます。

 

と、こんな性格のためなかなか仕事が続きません。

働いて楽しいと感じた経験もあまりなくて、だんだんと働くことがなんだか全く意味のないことに思えてきてやめてしまう、というのを繰り返しています。

 

実家暮らしではないので、お金を稼がなければ生きていけないという働くことの大きな意味が与えられているにもかかわらず、意味を感じない、世の中に対して何もよいことをもたらせていない、とか勝手に考えてやめてしまいます。

99%働きたくないだけの言い訳なはずなのですが、
恐ろしいことにその時の自分には、その言い訳が建前ではなく本音であると自分で勘違いしている節があるんですね。


辞める理由を正当化するために作り出した嘘に、自分がキマってしまっているという。。

 

とはいえ、いつもいつも「みんな何のために働くんだろう??」「モチベーションは何なんだろう??」というのはすごく考えます。
給料が上がるわけでもないのにいつも張り切って仕事している人、組織の中で主体的に動くことができる人が不思議で仕方がないです。

 

なのでいつも仕事をしていると、
「少ない賃金で働かせたい経営者vsなるべく楽をしながら高い給料を得たい労働者」
という単純な構図があまりはっきり見えてこないのはなんでだろう?と思います。

 

みんな、経営者の親族でもなんでもないのにまるでそのビジネスが自分の家業であるかのように数字を気にしながら頑張っていて、ここ以外でも絶対通用するのに、首を切られようが平気だろうに一生懸命働いていて。

どうしてそんなに主体的になれるんだ。。

 

なんだか僕には働くことによってどうなりたいとか、これだけの給料が欲しい、とか実現したいこともあんまり思い描けません。

結構いろんな人に、「どうしてそんなに頑張って働くんですか?」と聞くことがありますが、いまひとつピンとくる理由に感じたことがありません(聞いておいてほんと失礼)。

 

 

これ、多分ですがモチベーションを湧かせないことによって、「べ、、べつに本気出してねーから、、できなくてもしょうがねーし。。」と思えるように、逃げ道を用意しているんですよね?

もしかしてこの恒常的な無気力、倦怠感もここからきてるのでしょうか?

 

傷つくのが怖いから無気力でいる。本気でやって人より劣っているのがわかるのがこわいから常に倦怠感を帯びている気になっている。
そういえばアドラー心理学にでてきた目的論に通じるところがありますね。

 

超がつくほどのベストセラーになった『嫌われる勇気』では、
たしかひきこもりの青年を例に出して説明されていました。

 

過去の経験によるトラウマにより引きこもりになってしまう、というのがフロイト的、原因論的な考え方で、
一方のアドラーは、「傷つくのを避けるという目的」のために引きこもるという選択をしているんだよ、という。

 

トラウマなんて言葉が市民権を得まくっている現代においては、新しすぎてなかなか受け入れづらい考え方ですが、
たしかに原因論によって考えてしまえば、今がどうあるかによってこの先の人生がすべてズラッとキマってしまうことになりますよね。(下品なほうの「きまる」をパソコンが覚えてもうた。)

 

これは自分が選んでいるんだ、と考えるとそれだけでも少しだけコントロール可能なものに思えてくるような気がして、ちょっとだけポジティブな気持ちが湧いてきたように思います。

 


以上が本日のミーティングにおける私の議事録になります(爆)